Easter egg
このページを見ていただいているということは、私どものトップページを最下層までスクロールしてくださったということになるかと存じます。
誠にありがとうございます。
このページでは我らがホームページにおいて、あまりにも一般的でない事柄について所謂『イースター・エッグ』、つまり“隠された情報”としてお伝えしたいと思っています。
一般的でない事柄とは、「哲学」についてです。
ここで言う哲学とは、“会社の理念”といったことではありません。
本当の意味での哲学、具体的に言えば『新実存主義』に基づいた哲学です。
このような内容は一般受けする内容ではなく、もしホームページのトップにあればウンザリしてしまう内容でしょう。
ですのでページの最下層、見たい人だけが読み進めることのできる場所に位置させていただきました。
しかし我らが騎士団は、この哲学なくして、龍騎士団茶舗ではありえません。
我々の哲学とは、根本的に茶は『日々の生活を実存的に楽しくするものである』ということです。
「何を当然のことを」と思われるかもしれませんが、“実存的に”というのがポイントです。
『実存』というのは『現実存在』という意味です。
この考えは、ヘーゲルの形而上学に対するカウンターとしてキルケゴールが生み出しました。
ヘーゲルは言います。
「この全宇宙は根本的には味方と敵に分かれているが、両者が競い合い、時に和合したりして、全体的にはより素晴らしい方向へより素晴らしい方向へと向かっているのだ」
しかしキルケゴールは言います。
「それが今の私の苦しみやみじめさと何の関係があるのか? 何故、他の誰でもない私という『現実存在』が、そのような宇宙のワケのわからない企てに加担させられてしまっている結果、苦しむ必要があるのか?」
我々は日々の飯代を稼ぎ、暮らしていかねばなりません。
ヘーゲルの考えを慰めにできればいいですが、それができなければやはり重要なのは『現実存在』の個々人なのです。
茶とは根本的に、『実存的飲料』でなければならないと我々は考えています。
品評会で上位であったとか、これだけの苦労をして作り上げたとか、このようなストーリーがあるとか言ったことは全て、
「今ここにあるお茶を他の誰でもない、まぎれもない私自身が口に含んで飲んだ時に感じる美味しさ、楽しさ」
と繋がっていなければ何の意味もないのです。
先に言った『実存』を旨とする『実存主義』は、悲観的な視点を持ちがちでした。
“宇宙の目的”といったものよりも“今ここの自分”、“理想”よりも“現実”に目を向けるものだったからです。
しかしそれをイギリスの哲学者、コリン・ウィルソンは『新実存主義』へと発展させました。
具体的には長くなるので避けますが、この哲学は心理学のフロー体験を重要なものとして含んでいます。
フロー体験とは何のことはない、日々の生活に含まれる幸せの体験です。
「真夏の部活終わりに飲むスポドリ」とか「なんかめっちゃ話が合う人との会話」とか、ささやかではあるけれども『このために生きてんだ』という瞬間のことです。
「ファン待望の新アルバムが発表された瞬間のテンション爆上げ」でもいいでしょう。
「飲み屋帰りの行きつけのラーメン屋の一杯」も立派なフロー体験です。
フーテンの寅さんが「まあ生きてりゃ何かいいことあるよ」と言う時の『いいこと』、これこそがフロー体験です。
あるいは村上春樹氏が書いた「小確幸」も、フロー体験に含まれるかもしれません。
我々はこの『新実存主義』のフロー体験、つまり「うわっ! この茶なんか美味えぞ! やったー!」を提供できるお茶屋を目指しています。
お茶というのは他愛もない、ありふれた飲み物です。
それが傍らにある、ありふれた他愛もない日々の生活において、ふとそれらが交差した時にその『紛れもない、他の誰でもない、今この時まさにここにいる貴方自身の人生の一瞬間』が輝くことに成功したなら。
我々の計画は完遂されたことになります。
長くなりました。茶でもしばきましょう。
ご存じでしょうか? 昔「タダでも結構。タダよりは負け申さず」とか言って人に茶を淹れる、酔狂な坊さんがいたそうです。
食い扶持とか気にせず、美味しい茶を飲み合える世の中が早く来てほしいですねぇ。
来るように頑張ります。
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